古橋亨梧が韓国人と言われる理由は?経歴や国籍について詳しく調査!

今や日本を代表するFWとして海外で活躍する古橋選手。セルティックでは伝説級の活躍をしていますね。

そんな古橋選手ですが、Googleで「古橋亨梧」と検索をすると候補に「古橋亨梧 韓国」というキーワードが出てきます。

「日本代表に選ばれているけど、なぜ?」と思う方もいらっしゃると思います。

本記事では

  • 古橋選手の国籍
  • 古橋選手が韓国人だと言われる理由
  • 古橋選手の実際の経歴

について調査し、解説していきます。

目次

古橋亨梧は韓国人なのか?

結論から言うと、古橋亨梧は韓国人ではなく「日本国籍」のサッカー選手です!帰化選手でもありません。
単なる噂のようでした。

古橋選手はサッカー日本代表に選ばれており、活躍しています。
そのことからも韓国人であることは考えにくいですよね。

それではなぜ古橋選手は韓国人であると言われるのでしょうか?

まずは、古橋選手の詳しいプロフィールを見ていきましょう。

古橋亨梧のプロフィール

以下古橋選手の簡単なプロフィールとなります。

Embed from Getty Images

本名:古橋 匡梧(フルハシ キョウゴ)

選手登録名:古橋 亨梧(フルハシ キョウゴ)

国籍:日本

生年月日:1995年1月20日(27歳)

出身:奈良県生駒市

所属:セルティックFC

ポジション:FW

身長:170cm

体重:63kg

※wikipediaより引用

古橋亨梧が韓国人と言われる理由について

本名を改名しているから

まず古橋選手はプロサッカー選手として「本名」を登録していません。本名ではなかったのですね。

古橋選手の本名は「古橋 匡梧」(フルハシ キョウゴ)でと言います。大学卒業後にプロ入りする際に選手登録名を「古橋亨梧」に変更しているそうです。

一見分かりにくいですが、キョウゴの「匡」の字を「亨」に変更しているのですね。

改名について古橋選手本人は、中央大学からFC岐阜内定時に以下のように話しています。

「知り合いの方に占ってもらったんです。“匡”だったら良いところまで行っても漢字の右側が空いているので“王”が逃げてしまうと。“亨”は片足でも上に上がれるように、という意味が込められています。芸名みたいなものですけどね」

※ゲキサカより引用

このように本名を変えて選手名登録していることから「通名であるのでは?」との疑いがかかってしまったようです。

確かにスポーツ選手という括りで見たとに
卓球の張本智和選手は日本人に帰化した際に「張」から「張本」へ
アニキこと野球の金本知憲選手は「金」から「金本」へと改名していたりと、

帰化した際に改名することは一般的によくあることからも、もともとは日本人ではないのでは?と噂が起こってしまったようです。

古橋選手の改名については前述の通り、帰化したことによって同時に改名したのではなく、占いの観点での改名であります。

そういった観点からも古橋選手が韓国人であるという噂は正しくないですね。

見た目が韓国人っぽいから

続いて、「見た目」を理由に古橋選手が韓国人であるという噂もあるようです。

実際にTwitter上での反応を見てみましょう。

このように「古橋 韓国 顔」とTwitter上で検索をしてみると、こういった意見が多く見られました。

実際に古橋選手のお顔の特徴として

  • 切れ長の一重
  • つり目
  • 高い頬骨
  • 重ための前髪

といった点が挙げられます。

こういった特徴から「韓国人みたいだ」と言われるようになり、それが独り歩きして「韓国人である」という噂に繋がったのでしょうか?

実際には「一重でつり目の人が韓国人である」という因果関係も相関関係も全く無いですし、そういった日本人もたくさんいます。逆を言えばBTSのジョングクさんは韓国の方ですが、二重で丸い大きな目をしていますよね。

このように、見た目だけでその人の国籍を判断するのはあまり良くないですね。

古橋選手の出身地が韓国人であるという噂の後押しとなってしまった?

最後に、古橋選手の出身地も「古橋選手は韓国人である」という噂の後押しとなる要素の一つになってしまったようです。

前述のプロフィールの通り、古橋選手の出身地は「奈良県生駒市」というところです。

この関西の「奈良県生駒市」出身という事実がなぜ韓国人という噂に繋がるのでしょうか?

法務省が2021年末に行った「市区町村別 国籍・地域別 在留外国人」の統計データによると、日本の市単位での在留韓国人の人数ランキングは下記のようになっております。

  • 1位:大阪府大阪市(58,126人)
  • 2位:京都府京都市(17,374人)
  • 3位:兵庫県神戸市(14,792人)
  • 4位:大阪府東大阪市(8,753人)

※法務省:在留外国人統計(旧登録外国人統計) / 在留外国人統計(2021)

上記のように、日本の中で韓国人が多い地域は「大阪」「兵庫」「京都」の関西に多い形となっております。

「大阪」「兵庫」「京都」と「奈良」の共通点は、同じ「関西」というだけで、その他大きな共通点は特にありません。

しかし、「古橋選手は韓国人である」ということを証明したいがために、色々な角度から推測がなされ、「奈良県生駒市」出身というだけで韓国人であるという噂が立ってしまったようです。

こちらも事実無根であり、古橋選手は生粋の日本国籍のサッカー選手です!

古橋亨梧の経歴

そんな古橋選手ですが、どのような経歴で今に至ったのでしょうか?簡単に振り返っていきます。

小学生カテゴリ(桜ヶ丘フットボールクラブ)

古橋選手は奈良県生駒市にある「桜ヶ丘フットボールクラブ」で小学生年代を過ごしています。

小学生年代の頃はJリーグの下部組織に入団したり、ナショナルトレセンに選出されるような選手ではなかったそうです。どちらかと言うと「サッカーを楽しむ」ということに重きを置いていたそうです。

中学生カテゴリ(アスペガスフットボールクラブ)

中学年代は中学校の部活ではなく、地元の町クラブである「アスペガスフットボールクラブ」に入団しています。

こちらも奈良県生駒市にあるチームなので、中学生年代も地元のチームを選択したそうです。

アスペガスフットボールクラブに入団した理由として、古橋選手は以下のように話しているそうです。

ただもっと上手くなるためには、厳しい環境に身を置かないといけない。誰かに言われたわけではないが、当時の古橋少年には、「厳しいところに行かないとサッカーが上手くならない」という直感があったという。そこで中学進学と同時に県内の強豪クラブであるアスペガスFCに挑戦することに決めた。

※ゲキサカより引用

アスペガスFC出身のプロサッカー選手としては、古橋選手以外にも

  • 下川陽太選手(松本山雅FC)
  • 平松遼太郎選手(元FC今治→現在は奈良クラブ)
  • 山川廉選手(いわてグルージャ盛岡)

を輩出しています。奈良県でも屈指の強豪クラブですね!

そんな強豪チームで古橋選手は大活躍をしており、2010年1月に開催された第15回全日本ユース(U-15)フットサル大会では関西地域代表として出場。1次ラウンドでハットトリックを記録するなど、大会通算6得点を決める活躍でチームを日本一に導いています。(※大会について

今ではスピードが武器の古橋選手ですが、時より見せるテクニックはこういったフットサル経験も活きているのですね!

高校生カテゴリ(興国高校)

高校年代は大阪にある強豪「興国高校」に進学しています。

今となってはプロを多く輩出する有名な高校ですが、当時はまだプロ輩出が0人。

中学3年生のときに興国高校と練習試合をした際に興国高校の内野監督と話をした際に直感的に面白さ」を感じ進学を決めたそうです。

高校での3年間は選手権の全国大会に出場するなどの夢は叶いませんでしたが、チームとしては非常に完成されており、同期では、和田達也選手(現:栃木SC)が興国高校からプロ入りを果たしています。

古橋選手は高卒でプロ入りは叶わず、大学進学を決断しました。

大学生カテゴリ(中央大学)

高卒でプロ入りを果たせなかった古橋選手は、関東大学リーグの強豪・中央大学に進学しました。

中央大学のサッカー部は、スポーツ推薦組+セレクションで合格した一般入試組(数名)で構成されるため、ほとんどの選手がJリーグのユースチーム出身であったり、全国大会を経験しています。

そんな中で古橋選手は「全国経験」が無く、入学当初は挫折を経験しそうになったそうです。

それでも腐らずに努力を続けた古橋選手は、監督からの信頼を勝ち取り1年生から出場機会を得ています。1年生のときから全日本大学選抜(同期には明治大学の室屋成なども)やデンソーチャレンジカップの関東大学選抜にも選出されています。
(筆者も大学サッカーを経験していますが、これに選ばれる人は本当にすごい。。。)

順風満帆に見えた大学サッカーですが、3年次に膝を故障してしまいます。1年間近くサッカーに打ち込めなかっただけでなく、チームも関東1部リーグから2部リーグへと降格。

大学4年生次も2部リーグで大きな結果を残すことが出来ず、結果的にプロのスカウト達に大きなアピールができませんでした。

そして、Jクラブのセレクションを受けるも中々オファーの声がかからない中、当時FC岐阜の監督に就任したばかりの大木監督の目に留まり、無事FC岐阜への入団が決まりました。

ここから古橋選手の躍進が始まります。

FC岐阜時代(2017年~2018年)

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無事、FC岐阜への入団を決めた古橋選手は大卒ルーキーとして1年目から活躍をします。

入団初年度の2017年シーズンはJ2リーグ全42試合に先発出場し、7ゴールの活躍をしています。

翌シーズンも古橋選手の活躍は止まらず、J2リーグ26試合で11得点を記録。

この年の活躍がヴィッセル神戸の目に留まり、シーズン途中にヴィッセル神戸への移籍が決定ます。

ヴィッセル神戸時代(2018年~2021年)

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2018年の途中に加入した古橋選手は移籍後も期待以上の結果を残します。

2018年シーズンは13試合に出場し、5得点1アシストの活躍。J1初挑戦にして十分な活躍をします。

その後、ヴィッセル神戸はアンドレス・イニエスタ選手を始め数多くのスター選手を補強。そういったスター選手の中で古橋選手の才能は更に開花。

裏に抜け出す一瞬のスピードと高いシュート精度を活かし、J1リーグにて

  • 2019年シーズン:31試合出場 10ゴール 8アシスト
  • 2020年シーズン:30試合出場 12ゴール 5アシスト
  • 2021年シーズン:21試合出場 15ゴール 2アシスト

の結果を残します。2019年、2020年どちらもJリーグ優秀選手賞を受賞しています。

そんな古橋選手の活躍は世界からも注目を集め、2021年7月16日にスコットランドリーグの名門スコティッシュ・プレミアシップ・セルティックFCへの完全移籍が決定しました。

セルティック時代(2021年~)

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セルティックに移籍が決定した古橋選手は、移籍後すぐに結果を残します。

2021年8月5日、UEFAヨーロッパリーグ予選、FKヤブロネツ戦で移籍後初先発で初ゴールを決めると、その後のホームでのリーグ戦、VSダンディーFCでハットトリックを達成。移籍早々、現地サポーターの心を掴む活躍を見せます。

更に、国内カップ戦決勝では、先に1点の失点を喫するも古橋選手の2得点の活躍で見事逆転勝利。カップ戦優勝の立役者となります。

そんな古橋選手の海外挑戦初年度は、リーグ戦カップ戦と、国内2冠を達成。古橋選手個人としても得点ランキング2位、年間ベストイレブンに選出されました。

2022年シーズンも引き続きセルティックに所属し、見事な活躍を見せています。

まとめ

本記事では、古橋選手が韓国人であるという噂について調査しました。

結論、古橋選手は生粋の日本人選手であり、日本代表にも選出されるくらいの活躍をしています。

古橋選手が韓国人であると噂される理由としては「本名を使っていない」「顔立ちが韓国人っぽい」「出身地」など様々な理由がありました。

それら1つだけを切り取ると説得力の無い噂でしかないですが、様々な理由が重なってこういった噂に繋がってしまったのだと考えられます。

古橋選手の経歴を見ていくと、小学生年代から地元奈良県のチームで活躍し、今や世界でもその実力を発揮する選手として成長しています。

今後も古橋選手の活躍から目が離せないですね!

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